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無知な女  

「無知な女」

私は時々昔の事を考えると、よくぞ、今日まで「無事」生きてこれた、と思う事が多々ある。

そして 恥ずかしくなる。

父が東京の大学を卒業し、政治家を目指して東京で会計検査院の国家公務員をしていたが、

病に倒れ、故郷の田舎で静養中に、私は生まれ、小さい頃は田舎で育った。

父は腎臓結石だったが、その当時は 原因不明の病気とされていた。

血尿がでて、体がだるくて、夢を諦めて、田舎に帰った父は、

心の中は、挫折感で一杯だったと思う。

父はドイツ語、英語を学び、その時代では、かなり ハイカラな人だったと思う。

若い頃、ロンドンへ行きたかったとか、外国で外国人と英語を話して見たいとか、

父の兄が、政治に興味を持ち、元三原防衛長官の後援会の会長で、物質的応援をかなりしていた。

その関係で、父の兄は、父に政治家になって欲しかったと聞いている、政治の話や、

父の若かった頃夢見ていた目標を、田舎の広い土地の、大きな樹木の下で、ござを敷いて、

寝転びながら、青い空を見ながら、心地よい風を肌に受けながら、父はよく 

私に夢をもって生きて行きなさいと、話をしてくれた。

自分の夢は、大学で政治を学び、将来は官僚か、政治家を目指していたのに、

現実は、田舎で、タバコ畑、野菜畑、お米つくり、鶏鶏舎運営の百姓をしていて、

父の夢は、無残にもかけ離れてしまったせいなのか、

父の話は いつも 欲のない 夢のファンタジーのようなお話だった。

どんな形でもいいから、自分の好きな事を、楽しみなさいと教えてくれた。

成功しなさいとか、誰よりも上に行きなさいとか、

父はそんな事を話したことがない。きっと 挫折した時、空しさを一杯味わったので、

そんなものを、追いかけるのは止めたほうがいいと本人が一番知ったのではないかと思う。



父が病気をしたおかげで、若い頃、私は田舎に育ち、人を疑うことなく、のんびりと育った。

家に鍵を掛けた事がないように記憶している。

子供の頃は、川のめだかをすくったり、カエルの卵をすくったり、

父の鶏舎に近所のガキ友達と忍び込み、産みたての卵を盗み、

皆で生卵のまわしのみをしたり、父が作っていた、大きなスイカを盗んで、

皆でこっそり割って食べたり、栗や山柿や、アケビを取りに、山の中を走り回って育った。

サルのように木登りも上手だった。

ウサギやタヌキの足跡を追いかけたり、学校で音楽の授業でもらったたて笛を吹けば、

鳥が一杯飛んでくると思い込み 一日中 笛を吹いたり、

図書館のアルセーヌ・ルパン、シャーロック・ホームズの本を借りて、

木の下で夢中で読んだり、そして よく 感想文を書いて、表彰されたりした。

一番大きな表彰は 全国作文コンクールで、第3位になり、サトウハチロウ先生から

お手紙を頂いたことだ。

本当に楽しい子供時代を過ごさせて頂いた。

そのせいか、若い頃は、よく周りから、「夢見る夢子」と笑われた。

いつも 心の中は 夢一杯で 夢を追いかけて生きていたように思う。

逆を言えば、世の中に対して 本当に恐ろしいぐらい、無知だったと思う。


ロンドンに住んでいた時、友人がアルバイトの情報をくれた。

夏休みの期間の短期のバイトがあり、それは ジョン・ルイスデパートの

毛皮のセクションで 英文タイピストを募集している。ということだった。

「ユキ どう? 面接にいってみたら?」と。

当時 流行っていた、ヒールの高い、ぽっくり型の靴を履き、

当時 流行っていたミニスカートをはき、

長い髪をしていたので、クルクルとカールを巻き、

私は喜んで、聞いていた場所や連絡先へ ルンルンで行った。

面接とは? 恥ずかしくなるほど、無知なスタイルだった。

面接は ジョン・ルイス・デパートの地下にある事務所で行われた。

予想よりも暗く、ちょっとガッカリしたのを覚えている。

気を取り直して、「すみません、短期のバイト募集をしていると

聞いて面接に来ました」と受付の 男性に告げた。

その彼はジョンといい、後で友達になったのだけど、私を見て、ニタッと笑って、

「担当責任者」を呼んでくるから、そこで待って下さいと言った。

 

すぐに担当責任者が現れた。

髪の毛の薄い、45歳ぐらいの背の高いイギリス男性である。

今なら 45歳は若いと感じるが、当時の私にはすごく

おじさんに思えた。

「英文タイプの経験はあるの?」

「はい。学校で勉強しました。」

「一分にどのくらい単語を打てる?」

.「ステノタイプはできる?」

 (ステノタイプとは、話を聞きながらタイプする事。)

「はい。。」

ちょっと 詰りながら答えると、

「まあ いいや、テストをしますから、そのタイプライターのテーブルの椅子に座って下さい」。

私は 言われるとおりに、タイプの前に座った。

その責任者は、今から言う事をタイプして下さい。と言った。

「毛皮の名前はミンク、ボタンが1つゆるくて落ちそう。 袖の周りの毛が少し、擦れている」

早口な英語で、ペラペラとしゃべった。

私は、メチャクチャなスペリングで、パチパチとタイピングした。

そのタイプした用紙を彼は、タイプライターからはずし、じっと見ていた。

私は「こんな難しいことは無理だ」と内心思ったが、アッケンカランとした顔をしてすましていた。

結果は予想を反して、

「はい!採用しましょう。明日から来れますか?それでは 勤務時間と、時給とその支払い方法を説明します」

「はい!!ありがとうございます!頑張りますので、よろしくお願い致します!!☆☆」

と私は飛び上がるほど、喜んで後の説明はほとんど、どうでもいい感じで聞いていた。

「では また 明日。ありがとうございます。」と頭を下げてお礼を言った。

ミニスカートで、ぽっくり型の靴で、目の、星をキラキラと輝やかせて、その場を去った。

多分 ものすごい星が私の目の中で、キラり☆☆と光っていたに違いない。

その責任者は、にこにこと笑っていた。


その仕事は私にとって、忘れられないバイトの1つである。

ステノタイプでお金を稼げるような能力ははっきり言ってなかった。

私の中には「できない」というマイナス思考は殆どないので、

なんでも「やればやれる」的な思考と、「努力してダメならやめよう」

みたいな、恐ろしく楽観主義なところがあった。


私の仕事は彼のアシスタントだった。

彼の話す言葉をタイピングするのが仕事だ。

ジョン・ルイス・デパートでお買い上げ下さったお客様の毛皮を夏の間 冷房室に保管するサービスがあり、

その毛皮をお預かりした時に、お客様にその毛皮のコンディションを、「預かり書」に記載して渡す仕事だ。

初日は 彼は 使う単語は殆ど同じなので、覚えて来なさい。と親切だった。

そして 明日中にそれをタイピングして下さい。と1枚の紙を渡された。

そこには、手書きのミミズが這っているような、全く読めない手書きの英文がびっしり書いてあった。

私はその紙をこっそり家に持ち帰り、辞書を片手に、徹夜で訳し、次の日にタイピングをして渡した。

1週間過ぎた頃から、彼は、ハイドパークで 日焼けをしよう。

明日は水着を持って来なさい。と言い出した。

私は水着を持っていません。と答えると、次の日に、水着をプレゼントされた。

私は日に焼けるのが嫌いです。と言うと、室内プールに行こうと誘われた。

泳ぐのが嫌いです。と答えると、まあ 次から次から あの手、この手と誘ってくる。

断ってばかりいると、ついに彼は頭に来て、ステノタイプの言葉を

早口で、知らない単語で、ペラペラとしゃべった。

スペリングのスペルを間違えると怒られた。「もう少し ゆっくりしゃべって下さい」と言うと

仕事だから、そのぐらい速く打ってくれないと困る。とか、私が 根負けして、彼の誘いに乗ると

思ったのか、毎日 意地悪と、やさしさと交互に嫌がらせをされた。

昔から、セクハラはあったんだよね。

友人に相談すると、それは最初から その目的で、採用したんだよと教えたくれた。

よく考えると それはそうだねー 雇ってもらえるはずがないよね。

ステノタイピングは学校でちょっと勉強しただけだのに。

面接のテスト結果も、本当は メチャクチャだったと思うから。

しかし アッケンカランとその2ヶ月のバイトを終了し、1つ 学んだ気がして嬉しかった。

最後は その責任者も諦めて、「来年もバイトにおいで」と言ってくれた。

私は内心「べーだ!!」と思いながら、ミニスカートとぽっくり靴で、転びそうになりながら、

その場を後にした。

当時は 男の心理や、下心や、全く 無知だったな~。。。m(><;)

今考えると、恥ずかしいと冷や汗が流れる。

男性諸君 無知な女に出会っても、包容力をもって、接してくださいね。(^-^)

                                      Y.クッチマン


作成日:2007/01/27

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